4/11朝驚いたことと、それに端を発して書きたくなった「僕から見た彼」について

僕が彼を知ったのは1996年の秋のことだ。


僕の住んでいる街の選挙で、同い年の彼は全国最年少で立候補した。


彼が所属した政党が好き(もちろん細かい政策なんて知りはしなかったが、党首が信用できそうな気がしたんだ)で、しかも同い年の人間が選挙に出るのがうれしくて投票した。
もちろんポスターでしか当人のことを知らなかった。


その街には新人が風穴を開けるには余りにも強固な現職の基盤があり、彼の所属する党への追い風は止んでいた。
彼は落選した。


これから彼はどうするんだろう。
その党は無くなりかけていたが、受け継いだ党から次の選挙に出るのだろうか。
会社で労働組合を手伝わされていた僕は、じゃあビラを配ったりすることがあるかもなぁと漠然と思っていた。


しばらくして、意外なところで彼を目にする。
母が仕事の付き合いで取り始めた日経新聞に彼の写真が大きく出ていたのだ。


確か、「政治を語り始めた20代」というような特集記事で、僕の働く街でバーを開き、そこで政治や社会について語るトークライブをしている、という内容だった。
行ってみたいなと思ったが、店の住所や連絡先までは書いていない。
新聞社に問い合わせる知恵は浮かばなかった。


その翌年、数年ぶりに高校の先輩と会い、ちょくちょく遊ぶようになった。
いつもの通り遊んでいるとき、そう言えば、と先輩が語り出した。
おまえの好きそうなバーがある。
不登校の子の為の塾もやってて、たまにトークライブやったりしてる。
ほら、前にこの辺の選挙に出てた…


先輩に連れて行ってもらった日にボトルを入れて、僕はそのバーの常連となった。
といっても月に一、二度行く程度だが、まあそれでも常連といえる程度の客数で、だから居心地は良かった。
彼はいつも店にいるわけではなく、いたとしてもすぐ出たり、新しく塾に入る子の面談を店の片隅でしてたりで、僕とじっくり話す時間はなかった。
でも彼と彼の周りの人々と、それからその周りで何が起こるのかを見ていたくて、僕は通い続けた。


ある日、店を閉めると聞いた。
これでご縁も終了かな、と思った。
この人達の周りで何が起こるか見ていたかったけど、僕は客でしかないからしょうがない。


最終日、暫く目にしていなかった賑わいの中で、草野球チームを作ったと聞いた。
僕も野球経験者だよ、小学校3年間だけど(笑)でもいいな、野球楽しいよね、好きなんだ…


ひと月ほどたった頃、僕は塾に集う10代の子供達に混じり、彼のノックを受けていた。
次の練習日を教えられた帰り道、薬局に寄って湿布を買ったのは内緒だ。
何より彼に友達だと思ってもらえたことはうれしかった。


それからはゆっくり話をすることもあった。
彼にもう選挙には出ないのかと聞いたことがある。
いろんな話は来た、気持ちは持ち続けている、でも今はこいつらのことに全力を尽くすのが自分の役目だと思ってる。
隣の部屋で遊ぶ子供達の声を聞きながら彼はそう言って笑った。


15年ぶりに、しかも前とは違う、今彼が住む街で選挙に出ると聞いたときは驚いた。
何があったのか僕は知らないが、彼がそうしようと思ったからには、そうすべき時が来た、ということなんだろう。
手伝いたいと思った。


相手はかなり手強そうだった。
ベテラン現職で党県支部で役員もしている。
前回は逆風の中見事競り勝ち、議会の議長経験もある。
直前の市長選では支持候補が圧勝した。


一方彼に追い風はないように見えた。
元々投票率の高くない土地柄で、さらに地震で選挙ムードは高まらない。
勝負は厳しいものに思えた。


手伝う日、彼がもう三ヶ月毎朝立っているという最寄りの駅に向かうと、彼はそのまんまの彼で駅前に立っていた。
殊更に笑顔をふりまくでなく、殊更に厳しい顔をするでなく、いつも通りの顔で立っていることに僕は驚き、そしてうれしかった。
いつもと違う彼になって負けたら悔しいが、この彼を見て判断されるなら、どうなろうと納得できると勝手に思った。


自転車で市内を回るというので後ろをついていった。
行き交う人、庭先にいる人、遠くで畑仕事をする人、一人一人と握手をする。やっぱりその顔はいつも通りだった。
ただ、相手の思いすべてを受け止める決意だけが背中から伝わってきた。
誰も泣かない社会を作る―彼が掲げている言葉を思い出し、本気なんだと思った。
これだけ背負う覚悟がないと出来ないなら、僕には一生政治家は無理だ。


演説会の手伝いもした。
300人入る会場の後ろ半分にロープを張って座れないようにした。
マイクテストでそのロープを越えて最後列の音を聞きにいったスタッフに、そこまで人はいないから大丈夫だよと誰かが冗談を言い、みんなで笑った。


少し開演時間を遅らせると連絡が入った。
受付が終わらないのだという。
舞台袖から客席をのぞくと、ロープはとうの昔に外されて、席を探して歩く人の姿も見えた。
当人はどんな顔をしてるんだろうと思ったら、いつも通りの顔だった。


不思議な会だった。
2時間のうち彼が話したのは15分程度ではなかったろうか。
はじめに僕が10分落語をやって、そのあと様々な立場から彼を応援する人達が代わる代わるスピーチをした。
彼が初めて選挙に出たときの党首が応援演説をした(彼も不思議な会だと言い、実に彼らしいと笑った)。
最後は地元のバンドが歌った。


このプログラムで会場がシラケてしまうことなく、かといってこの手の催しにありがちな「信者の集い」になることもなく、なんだかいいものを見た、という感じで終わったのも不思議だった。
これは成功ってことなんだろうか?初めての経験でどう評価していいのかわからない僕に、昔とある選挙事務所で働いたことのある妻は、いい会だったとつぶやいた。
いい人たちに囲まれているもの、いけるんじゃない?


それでも厳しい戦いに違いはないだろうと僕は思っていた。
投票率にもよるが、少なくともあの日集まった人数の30倍の得票を集めなければいけないだろう。
何しろ相手は現職でベテランで議長経験者で…
でもあの不思議な感覚は忘れられなかった。


投票日の夕方、僕は僕の住む街の投票を済ませたあと、彼の選挙区の投票率を調べた。
前回とほぼ変わらない数字が出ていた。
風は、吹かなかった。


開票速報を追いかけるつもりが、昼から感じていた頭痛が夜になってひどくなり、早々に寝ることにした。
あの日のあの背中は忘れられない景色になった。
僕にはそれで充分だった。


翌朝、まだぼんやりと痛む頭を抱えて起きると、受かったね、と妻が言った。
あわてて携帯から調べると、彼はあの日集まった人数の30倍を優に超える得票を集め、当選していた。


風は吹かなかったが、彼が風を起こしていた。


僕は、すげぇや、と呟くのが精一杯だった。


中原恵人さん、当選おめでとう。
そのまんまのあなたで、がんばってください。