「〜円から」

こないだコーヒーショップで一万円札出したらレジのおねいさんが


「イチマンエンカラデヨロシカッタデショウカ?」


と真顔で言いました。
一瞬、何語だか分かりませんでした。


何度か脳内で変換キーを叩いた挙げ句にやっと「一万円からでよろしかったでしょうか?」と変換し、「カラ」?貨幣とはいえ所詮は紙、彼女は紙を起点としてどこへいこうと言うのだ、それとも紙「から」何かを受け取ろうというのか?なぜ紙を施しを受けようとする?もしやこれは何よりも貨幣価値を優先する資本主義経済に対する彼女の革命の始まりなのか?いやそればかりではない、目の前にまだ確かに一万円札はある、なのになぜ彼女は「ヨロシカッタ」などと過去形を使うのだ、確かにそこに一万円札はあるではないか、しかしまて、先ほど自ら「紙に過ぎない」といったではないか、つまりここにイチマンエンという価値があると考えているのは貨幣経済共同幻想にとらわれた我々が抱くある種の病なのだという彼女からの問題提起なのか?やはり革命か?レボリューションか?わかりはじめたマイレボリューションなのか?明日を見出すことなのか?などと取り乱すことはなく、いやー日本語も来るとこまで来たなぁと思ったのでした。


ただ、これを「けしからん」だの「間違ってる」だのと否定するのは簡単ですが、それでは何も生まれないし馬鹿馬鹿しいと思うのです。おそらく彼女が「丁寧な言葉づかい」をしようと思って先のような言葉を使っているのは間違いありません。ならば「○○から」「よろしかった」という表現が彼女−だけではなく、こうした表現をするすべての人々−にとってなぜ敬語表現として成立するのか?


これを探ることは言語学としても社会学としても大変興味深い題材だと思います。
例えば、これは門外漢の僕の想像ですが、「○○円からお預かりします」は「○○円からお買い上げ金額の△△円をおあずかりします」という表現からの転用だと思います。サービス業では「売上金はお客様から預かるものだ」という教育がなされることがあるからです。
「よろしかったですか?」は「よろしいですか?」に含まれる丁寧さを更に強めようとしているのだと思いますが、それがなぜ「かった」と過去形の表現になるのかは僕には仮説も立てられません。


誰かすっきりする説明してくれないかなぁ。きっと研究してる人もいると思うんですけど。←「はてな?」使えよ。


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:マヨネーズトースト・バナナ・コーヒー